濃口醤油のルーツとは
更新日:2021/02/21
醤油と言えば、濃口醤油(こいくちしょうゆ)だ。
濃口醤油と言っても、東京や関東ではそういう呼び方はせず、ただただ「醤油」と呼んでるので、もしかしたら通じないかも知れない。
実際、日本で売れている八割方が濃口醤油で、うすくち醤油は13%程度しか売れていないし。
濃口醤油は、キッコーマン、ヤマサ醤油など、千葉県の野田市や銚子のメーカーが有名だ。
濃口醤油は、刺身や麺類のツユ、焼き魚などにも使える万能醤油だが、歴史は以外と浅く、江戸時代になってからできたものだ。
しかも濃口醤油の製法は、和歌山県有田の湯浅から伝えられたもので、そこから江戸の食文化が生まれたという。
たまり醤油 味噌造りの副産物
醤油のルーツは、味噌造りの時にでる上澄み液だ。
味噌桶の上にたまっているので、たまり醤油と呼ぶ。
たまり醤油の歴史は400年以上あって、安土桃山時代から、この上澄み液を煮沸して、陶器に詰めてヨーロッパなどに輸出されていた。
たまり醤油の産地は、大阪堺や、和歌山の湯浅、讃岐や小豆島といった地域で、江戸時代初期には、堺から船で江戸に醤油が運ばれていた。
濃口醤油 野田醤油の誕生
ところが江戸の街が大発展し、人口も急速に増えた。
たまり醤油の需要も伸びたため、近畿での生産が追いつかず、江戸周辺で醤油造りを模索し始めた。
そして醤油の生産地として選ばれたのが、千葉の野田や銚子だ。
利根川周辺では大豆や小麦が取れ、江戸川の下流の行徳(ぎょうとく)では塩作りが盛んだったのだ。
そこで、和歌山の湯浅地域の醤油製法を元に、醤油造りが始まった。
行徳塩田から塩を水運で運び、野田や銚子で醤油を作って江戸に運んだわけだね。
野田醤油のメーカーとしてはキッコーマン、銚子醤油のメーカーとしてはヤマサ醤油が有名だ。
ヤマサ醤油の創業者は紀州(和歌山)の出身で、代々の当主は銚子と和歌山を行き来するという。
ヤマサ醤油と言ってもぴんとこないかも知れないが、草薙剛さんがCMをしている昆布ポン酢を作っているメーカーだ。
この濃口醤油が、刺身や蕎麦などにピッタリで、江戸の食文化を支えたということらしい。
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