ジャガイモは、ナス科ナス属の作物
更新日:2020/01/15
ジャガイモは、イモと名前がついているが、実はイモと言うより野菜だ。
というのも、ジャガイモはナス科ナス属に分類される植物で、ナスやトマトの親戚だ。
地下茎(ちかけい:地下にできる茎)に、でんぷんを蓄える性質があり、我々はそれをイモとして食べているのだ。
ジャガイモは、焼いたり揚げたり蒸したりして食べるだけでなく、でんぷんの原料や、ウォッカ、ジン、焼酎などの蒸留酒の原料として使われている。
また以前は、ブドウ糖果糖液糖などの異性化糖の原料としても使われていた。
ジャガイモの歴史
ジャガイモは、南米のアンデス山脈、ペルーのチチカカ湖あたりが原産地だと考えられている。
ジャガイモはインカ帝国の食基盤で、インカ帝国の住人はジャガイモを主食として食べてたらしい。
ジャガイモがヨーロッパに伝わったのは16世紀後半で、スペイン人が南米から持ち帰ったとされているが、ハッキリしていない。
というのもアメリカ大陸からヨーロッパにもたらされた植物はいくつもあり、個々の植物に関しては記録されていないらしい。
ただヨーロッパでジャガイモ栽培が広まったのは、ドイツの三十年戦争時に、ベルリンを首都とするプロイセン王国の国王がジャガイモ栽培を奨励したことに始まるとされている。
ジャガイモは寒冷地でも育つし、酸性土壌の荒れた土地でも栽培可能で、麦と比べても収量が多いため、救荒作物(きゅうこうさくもつ)として広めようとしたらしい。
ジャガイモは年貢の対象にならなかったため、農民や庶民の空腹を癒やす貴重な食糧としてドイツやアイルランドで急速に広まった。
そしてアイルランドでは食糧をジャガイモに依存しすぎた結果、ジャガイモの疫病が流行ったときに飢饉で100万人も死者が出たという。
この飢饉でアイルランドから大量の移民がイギリスやアメリカ大陸に渡り、ジャガイモも一緒に現地に伝えられたという。
日本に伝わったのは、西暦1600年前後のことで、オランダ人がインドネシアのジャワ島のジャカルタから持ちこんだとされている。
ジャカルタのイモなので、ジャガタライモと呼ばれるようになったらしい。
そして江戸時代の日本でも、飢饉対策として北海道や東北でジャガイモ栽培は奨励されていたという。
ジャガイモのうんちく
ジャガイモは、救荒作物(きゅうこうさくもつ)として、ドイツでも江戸時代の日本でも栽培が奨励された。
寒い土地や酸性土壌でも育ち、年に2~3回収穫できるので、飢饉対策として奨励されていた。
ところがナスやトマトが連作障害を起こすように、ジャガイモも同じく連作障害を起こし、同じ土地では3~4年くらい期間をおかないとチャンと育たないという。
救荒作物なのに、3年以上も間隔をおかないといけないなんて、ちょっと変な話だね。
因みに作物に連作障害が起こる原因としては、
- 特定養分(ミネラル)の欠如
- 病害虫の発生
- 自家中毒
と言ったことが挙げられる。
たとえばトウモロコシやキビなど、急激に成長する作物は、土壌中のカルシウムや亜鉛を大量に奪う。
そのため、毎年十分な肥料を入れないと連作できない。
では、必要なミネラルを肥料として十分に施肥すれば連作できるかというと、今度はトウモロコシやキビにつくセンチュウ(害虫)や病気が増えて育ちを悪くする。
そこで、トウモロコシを作った後には、大豆などのマメ科の作物を栽培して、センチュウの発生を抑えたりする。
ジャガイモも、連作するとセンチュウが発生しやすくなるし、他のナス科の作物との連作も出来ない。
ナス科の植物には、有毒アルカロイドを持つものが多く、これで自家中毒を起こしている可能性もありそうだ。
ナスやトマトの葉や茎にも毒があるし、ジャガイモにも、ソラニンなどのポテトグリコアルカロイド(PGA)と呼ばれる有毒アルカロイドを含んでいるし。
そこでジャガイモ栽培の後作には、害虫の発生を抑制するネギやニラ、ニンニクなどの作物を作ったりする。
連作する場合は、土壌消毒剤を使ったり、違う種類のジャガイモを栽培したりする。