町中華の二つのルーツと歴史
更新日:2019/11/04
日本の家庭で食べられている中華料理の殆どは、町中華(まちちゅうか)と呼ばれる中華料理店のメニューだ。
町中華とは、普通の町にある中華料理店で、夫婦だけでやっているお店も多いし、手広く展開しているお店もある。
横浜南京街や神戸の南京町にある様な本格的中国料理ではなく、チャーハンや餃子、醤油ラーメンや酢豚などを手軽に味わえる飲食店だ。
町中華は、どういうわけだか日本全国各地にあり、恐らく今の日本人にとっては、普通に存在する「古い飲食店」になってしまっているが、未だ元気な町中華も多い。
それにしても、町中華って、いったい何なんだろうね。
ということで少し調べて見た。
まず、町中華には、大きく分けて二つの系統があるという。
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華僑が開いた町中華・広東料理店
町中華のルーツはまず、中国の広東省や福建省から日本へやってきた華僑達相手に誕生した中国料理店だ。
この歴史は江戸時代までさかのぼる。
江戸時代は、中国やオランダなど、限られた国としか貿易をしていなかった。
しかも貿易は長崎の出島(でじま)といった、特別な地域にしか、外国の貿易商は住めなかった。
そこで、中国からやってきた貿易商(華僑)が出島に住んでおり、その地域を唐人屋敷(とうじんやしき)と呼んだ。
唐人屋敷には、中国の貿易商が連れてきたお抱え料理人も住んでいた。
日本で一番最初にラーメンを食べたのは、水戸黄門こと水戸光圀(みつくに)だと言われているが、水戸光圀は徳川家康の孫だから、いまからもう400年くらい前の話だね。
この頃に日本にやってきたのは、広東や福建といった中国南部の料理人達だった。
さて、お抱え料理人の内の何人かは、雇い主である貿易商が帰国した後も出島に残り、中華料理店を開いたりした。
その後、日本が開国した明治維新以降は、同じように横浜や神戸に南京街・南京町(なんきんまち)に華僑が住み着いた。
その時に、長崎と同じように料理人を連れてきたり、華僑相手に中華料理店を開くモノも現れた。
しかし日清戦争が勃発し、中国の貿易商が日本から引き揚げると、日本人相手の商売を始め、日本人の口に合うような改良が為されたらしい。
これが町中華のルーツの一つだ。
明治の終わりには、中国人料理人をたくさん招いた来々軒(らいらいけん)が浅草で開業し、醤油ラーメンが人気になった。
来々軒では、中華丼や天津飯など、日本オリジナルの中華料理が生み出され、それが日本全国に広まった。
引き上げ者が開いた日本の町中華
町中華のルーツのもう一つは、太平洋戦争の敗戦によって引き上げた人々が開いた中華料理店だ。
明治維新以降、日本は大陸に進出して中国北部に満州国を築いた。
満州には、日本から様々な人が渡満して、中国北部の料理に触れた。
そして、太平洋戦争後に日本に帰国し、中国北部で味わった料理を日本で再現した。
昭和20年代以前の中華料理店というのは、殆どが広東料理や福建料理をルーツにする。
しかし昭和20年以降に、山ほど誕生した中華料理店は、満州などの中国北部から帰還した日本人が開いたものだ。
外地から引き上げてきても、日本国内では仕事がない。
そこで見よう見まねで始めた中華料理店が、日本全国に誕生した。
日本で餃子と言えば焼き餃子だが、これは中国北部の料理で、南京町の広東料理系にはなかったメニューらしい。
そして、見よう見まねで始めた中華料理店だから、中華料理ならなんでも取り入れた。
たとえば料理の鉄人でもおなじみの陳建一さんの父親は、戦後日本にやってきた四川料理人だったが、NHKの料理番組で麻婆豆腐を披露したら、それが全国の町中華に広まったりした。
その結果、日本の中華料理店では、北方系の焼き餃子あり、広東系の酢豚やワンタン麺あり、四川料理の麻婆豆腐あり、と言ったように、中国各地のレシピが少しずつ集まるという品揃えになったらしい。
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